メンバー感想文

団長 西田さんの写真
団長 西田 公信
 NATという地域の情報化を手助けするボランティア団体に所属し、その中でも愛EYEプロジェクトという視覚障害者向けのITサポートに関わってきました。それ以来、福祉というとおこがましいですが、支援という行動を通して、多くのことを学ばせてもらってきました。
どのような事でもそうですが、このままでいいと思うことは、その活動の成長をとめてしまいます。常に自分たちの行っている事を何かの形で評価なり、第三者的に見ることが必要となるわけです。
そのような観点から、今回の県民の翼に応募し、我々の思いをお聞きいただき、審査員の方々に評価をしていただき、その結果としてフィンランドへの派遣を採択いただきました。
そのことだけでも、大きな評価をいただいたと思っていたのですが、実際に見た、聞いた、体験したフィンランドは、それこそ驚きの連続でした。我々の活動に関する部分だけではないのですが、感想文としてまとめたいと思います。
○ 高負担高福祉国家の実態
「フィンランドは、税金が高い。」とは知っていた。そして、食事や買い物を通して、やはり高いということを実感した。なにしろ消費税22%である(物によって違うが)。ハンバーガー一つを取ってみても、その値段の高さを充分に感じた。ハンバーガーの大きさは違うが、日本だとセットで400円~500円くらいと思うが、フィンランドでは5~7ユーロ(650円~900円)もするのである。
その他の税金などを合わせると税負担率が60%を超えるということである。 これだけの高負担率であるから、国が福祉や教育、生活などで色々な方策を講じるのは普通のことであると、簡単に思っていた。しかしその方策が実現されるまでは、障害者といえども、主張し、色々な方面に働きかけ、場合によっては政治活動やロビー活動も行うのである。 声あるところを聞き、声無き者の事は聞かない。自立を旨とするフィンランドにおいては、非常にわかりやすいことであるが、多分日本では、強者の論理として排斥されるのではないだろうか?また、自立という言葉自体、日本とは意味が違うのではないかとさえ思えた。日本では、とにもかくにも社会へ出ればとか、大学生になればで、親に経済的にも社会的にもその大部分を庇護されていても、「親に面倒見てもらっている部分はありますが、自立しています。」ってことになっている。社会もそれを容認しているように見えます。しかしフィンランドは違っていますね。
 自立とは、文字通り、自分だけで立つんです。また、立たねばならないのです。政治を初め、社会全体が、そのための社会制度の充実を目指しているといっても過言ではないと思います。
例えば、
1. 大学へ行くという事が担保され、銀行が個人にお金を融資してくれる。
2. 親が子供といつまでも同居したりはしない。
3. 年老いての一人暮らしも当たり前。
4. 毎日の就業後は自分の時間ということで、夕食も簡単に済ませ、余暇を夫婦といえども個人的に楽しむ。
5. 国が、強い要求の元で認めた制度についてあらゆる支援を行いますから、純粋なボランティアは存在しない。    等が上げられると思います。
 こういうことは障害者であろうと同じであり、健常者と同じ生活をする権利を有しているという意識、それも自分たちがそういう権利を自ら勝ち取ってきたのだ!という強い自負がありますので、自信を持って自分でやりたい事を自ら選択し、人(ボランティアも含めて)に頼らず、自分の意思で生活するのです。こういう考え方で、その違いを鮮明に感じたこととして、次のような事があります。日本において、買い物補助にFOMAのような動画配信携帯を使ったサポートがある事を話したときに、即座にそれは不要だと言われたのです。
理由として、視覚障害者と、サポートする人が1:1で必要になるからだということでした。これでは自立にならないということなのです。 職業等も踏め、選択範囲は広く、補助制度も多くあります。 補助制度として、NKLなどの団体への助成も当然含まれますが、
・職場通勤へのタクシー利用(バス等の料金で)
・通常生活時で月18回のタクシー利用
・コンサートや趣味活動への介護者同伴
・障害を持つ子供の教育訓練への親の同伴とその間の休業補償
  など、日本では考えられない制度も含め、充実しています。日本で生まれ育った私にとって、このフィンランドの制度は、ただただ驚きなのですが、受け取り方は複雑なものがあります。
『当然のあるべき姿』であることなのは理想的に理解できるのですが、現実的には多少行き過ぎなのではと感じるからです。(メンバーによっての受け取り方も違っている筈です。)
 例えば、タクシーによる通勤ですが、確かに視覚障害者にとって公共交通機関を利用して通勤するのはつらいものがあります。でも、健常者でもつらいことがあるでしょうし、なによりタクシー通勤はステータスシンボル的なもので、贅沢感がつきまといます。人の迷惑にならない自立を実行するためというのはわかるのですが、なにか金銭を補助することでケリをつけているだけのような気もしてくるのです。実際こういった費用を負担する地方公共団体が財源不足により制度の見直しを図っていると事も聞きますし、個人の自立尊重主義から、もう少し人に頼るような制度(日本では人情とでも言えばいいのでしょうが、ボランティアのような事)を考えてみたらと思ったのですが、歴史や文化の今すぐには埋めようのないギャップがあることも理解できますので、複雑な気持ちなのです。

○ IT先進国としてのフィンランド
 フィンランドは、IT先進国としても有名です。ノキア社に代表されていると思うのですが、日本でのIT普及の考え方とは異質の物があったと感じました。日本では、最新のコンピュータシステムや携帯電話がもてはやされ、これにあらずんば語ることなかれ、みたいな風潮があり、確かに見た目に華やかに見えます。しかしその事が、デジタルデバイドを助長している、そんな気がしてきました。フィンランドでは、日本のようにLANシステムやホットスポットがどこにでもあるといったことは殆ど無いようで、家庭でのインターネット普及率も高くないような気がします。特徴的な事といえば、例えばソフトウェアシステムは最も普及しているOSに合わせますし、携帯でも必要最小限の機能しか持っていないもので多くの人が満足しているということでしょうか。
 こういうゆっくりとした変遷ですが、それが確実な普及になっているようです。多くの人が違和感なく携帯やICチップ付きの身分証明書を使い、買い物もびっくりするような小額からカード支払いをしたり、トラムなどの公共交通機関もカードをかざすだけだったりと、生活に密着したITがうまく導入されていると思いました。

○ フィンランドの国民性
これについては『高負担高福祉国家の実態』でも、書いたように、とにかく自立心旺盛の一言なのですが、同時に自分たちの国はどうあるべきかも良く知っていると思います。 その例として、フィンランドは何処へいっても綺麗なのです。街の中はもちろん、道端、湖畔、どこにもゴミらしいゴミが落ちていないのです。 そして、フィンランドは自国の国土に最小限の開発しか行いません。 つまりフィンランドは、その産業や生活基盤において自然と共生しているのだ、という意識を国民全てが持っているのです。ですから、森や湖がペットボトルや空き缶だらけになったり、生活廃水が湖に流れ込んで水質を劣化させる事は、国にとって致命傷になる事を国民全てがよく知っているのです。そう強く感じました。
また、これは自立心の裏返しなのでしょうか、宗教心がいささか薄いような気がしました。といっても日本ほどではないと思いますが・・・。


能登さんの写真
能登 和敏
透明な光に囲まれた国スオミ
 初秋のスオミ(フィンランド)は透明な光に囲まれていた。空の玄関口バンター国際空港に降り立った私たちを待っていたのは、柔らかなそして透明な光でした。この地に滞在したすべての時間、私たちのまわりを満たしている大気が、まったく別のモノに変わってしまったような気分になりました。光を伝播するという不思議なエーテルとフィトンチッドが心を軽くそして柔らかくしてくれました。バークシュの湖畔で過ごした時間やユバスキュラまでの湖水地方を移動した間だけでなく、ここ最大の都市であるヘルシンキにおいても。 
 この自然を守るためには並々ならぬ努力があったという。現在でもITを駆使して森林や湖を自らの手で育てています。自然との共生を果たすことのできるこの国であるからこそ人を大切にする事ができるのでしょう。今回の視察は多くのことを学ばせてくれました。この実現に力添えをいただいた多くの方々に感謝します。


室谷さんの写真
室谷 芳隆
 現在の日本の社会は、高度経済成長時代がとうに終わり、バブル経済崩壊、地域主権時代の到来と、欧米のように成熟期にさしかかっているが、各種選挙の投票率の低迷に現れているように国民ひとり一人の意識は、そのような社会情勢に対応できていない(気付いていない、無頓着である)のではないかと思われる。 成熟した社会では、その地域に住む住民ひとり一人の構成員としての責任がより大きくなる。その地域に対して積極的に関わらなければならないという高い意識と、住民ひとり一人が、最大限に能力を発揮でき、それが報われる社会制度とともに、自分たちのまちで、心豊かに生活することができる環境や文化が必要だと考える。
 また、自分たちのまちに対する、深い愛情と強い誇りを醸成するということも必要不可欠であろう。つまり、自立と共生(共に生きるの意)の精神とそれに対応した社会システムが求められるのである。 フィンランド共和国は、人口が約500万人という、日本の20分の1以下の国である。しかし、世界経済フォーラム(http://www.weforum.org/)の調査によると、経済競争力、IT競争力、ともに世界一(IT競争力については前年度。今年度の調査では3位)という結果がでている。また、教育レベル(学力、教育システム)も世界一と言われ、昨年のNHKの教育問題特番にも取り上げられている。
 首都ヘルシンキ(56万人)と20km離れた産業の拠点エスポー市(20万人)が核となった首都圏は、約100万人という富山県と同等の人口である。自然に恵まれ、四季がはっきりとしていて、厳しい冬があるという富山と共通点が多いフィンランドには、未来の富山県にとって学ぶべき点が数多くあると思われる。 なぜ、フィンランドは成功しているのであろうか。
 第一の理由は、教育システムの充実である。つまり「人づくり」で成功しているのである。フィンランドの子供たちは本をよく読み、ものづくりの体験、自然に触れる機会が多いそうだ。また、教師も常に授業のテクニックを向上させるための努力をしないといけない仕組みになっている。考える過程を最重要視する授業、グループ学習で共に向上させる授業がなされているのである。そして、社会人になっても学び続けるという習慣が身につき、それが所得の増加につながるという社会システムが構築されている、ということである。
 第二の理由は、自主自立の精神である。フィンランド語で「SISU(シス)」という言葉は、目的に向かって黙々と努力し成し遂げる、という意味だそうだ。つまり、日本で言う「大和魂」「サムライの心」と言えば理解しやすいであろう。高校を卒業したら自活する、また、障害者も高齢者も自立できる社会システムは、与えられたものではなく、国民自らがそう望んでいるから実現しているものなのである。現大統領が女性であり、国会議員も半数近くが女性であるように、男女の意識も同等である。 わが富山県も、そのような次代の社会とならなければならない。地域社会の住民すべてがひとつになり、一緒にまちを創っていくことが必要である。情報通信技術はそのための強力な道具であることは間違いない。われわれ「NAT」は、その技術を無機質なインフラストラクチャではなく、血の通ったネットワークとして発展させていこうと思う。

小松さんの写真
小松 裕子
 今回の研修に参加して、強く印象に残ったことは、「さまざまな障害者が自ら社会に参加している」ということです。 これは当然といえば当然のことなのですが、健常者が障害者を特別に扱うのではなく、障害者も自立して権利を主張するという点が、日本と意識が大きく違う点ではないかと感じました。 しかしながら、このことは逆から言うと、主張しない(できない)人は障害者であれ、健常者であれ、さまざまな権利を享受できなくてもしようがないということでもあります。情報化が進むにつれ、特に情報技術は、障害者にとって大きな助けになると共に権利を主張しやすくなる人とそうでない人がはっきりと分かれる危険性も持っています。
 そうしたこともデジタルデバイトと言えるのではないかと強く感じ、これから私たちの支援の中でも充分に意識しなくてはいけないことと思いました。 日本と違う点をもう一つ上げてみると、ユバスキュラの盲学校やアルラの盲人のための職業訓練学校でみかけたのは、すばらしい色彩に溢れた学内、本物の感触を手や体で味わう仕掛け、一人の人間として自立するための援助の豊富さでした。木のテーブルに敷いたクロスやちょっとした花、彩り豊かな手作りのカーテン、いつでも開いているカフェなどそこに居るのがわくわくするような楽しい気持ちになりました。
快適な環境を自ら創ることって大事だな・・・そう思って、自分の環境を見直してみるとスチールのテーブルと椅子、無機質なパソコンなどなど、なんでも揃う豊かな(かもしれない)日本にいて、機能を満たすだけというものがなんと多いのでしょうか。こんなことに気づけたのも、今回の研修の一つの大きな成果でした。


佐野さんの写真
佐野 美恵子
 「視覚障害者が他人を頼ることなく、日常生活、仕事まで全て自由自在にできるように」~~フィンランドでの視察施設の連携セッティングゴールは就労=自立までという肌理細やかなものでした。

それらの様子は報告書に詳しいところです。日本とフィンランドの歴史風土、国民性等々、違いも大きく、福祉先進国と言われるフィンランドの制度が素直に日本に受け入れられるかというと、なかなか難しいところもあるのでしょうが、今回フィンランドで学ばせていただいたことを少しでも活かせるように、これからも地域の視覚障害者IT支援活動を続けていきたいと願っています。
余談ですが、自室の一番目の届くところに掛けてあるタペストリーはSUOMIの伝統工芸品ポッペナ織です。SUOMIの湖のような藍色のグラデーションが美しい素敵なもの。その作品の裏には「HANDMADE BY BLIND IN FINRAND」と書かれたタグが付いている。フィンランドの全盲の方が丹精して織られた作品で、唯一自分へのSUOMI土産です。
 フィンランドの視覚障害者の自立の証しの一作品を自分の大切なものとして持ち帰ることができたことがとてもうれしかったです。

 なにより最大の幸せだったことは、NATの素敵な仲間達と共にフィンランドでの充実した研修の日々を過ごせたこと!! この自立の国でのそれぞれの研修見聞録が、これからの
NATの活動にきっと大いにプラスとなってくれることでしょう。

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目の前のタペストリーを見ながら、実りあったフィンランド
視察の旅を、今はもう懐かしく思い出しています。


石王丸さんの写真
石王丸 敦司
 私はフィンランドに行きいろいろなことを経験した。当然ながら今回の旅行だけでは経験できなかったことも多いが、フィンランドの個人主義を色々な面で体験することができた。視覚障害者であろうが健常者であろうがフィンランドでは差別も区別もない。全ての人において国が平等に補償しており、なおかつ障害者を特別視するということは一切ない。教育においても生活においても社会進出においてもである。 日本では大分改善されつつあるが、しかしながらまだまだ区別している感じがする。今回の研修旅行では、そうした日本が学ぶべきまだまだ追いついていないフィンランドの一面を見ることができ、大いに勉強になったといえる。
  私たちのボランティア活動もフィンランドの良いところを見習い、今後益々活動を広げていきたい。


野田さんの写真
野田 幸男
 フィンランドが福祉国家と言われる要因が今回の研修を通して理解できました。福祉国家と言えば単に障害者を支援する為の、お金を国が保障するだけと思いがちですが我々が目にして驚いたことは「お金」の話ではなく機能化された社会のシステムでした。 視覚障害の例で紹介しますと、社会人になるまでに一般社会で健常者と同等の生活ができるよう教育費を国が負担して行います。 又、施設へ来る間の子供の付き添いをする両親の給与もその間、国が補償しています。視覚障害者はもちろんのこと、その家族も含め仲間とのコミュニケーション、並びにサポート体制をこの期間に作っておくとこが精神面において非常に大切なことなのだと学校、協会の方々も述べておられます。
 そういった意味からも親も含めた保障がされています。同時にサポートする各々の施設は綿密に連携が取れており、ユバスキュラ国立盲学校、NKL(盲人連盟)、アルラ研究所と、それぞれが各々の施設へ出張所を置いて機能別に仕事を分担し相互に協力し対応しています。サポートするネットワークとシステムが整っています。 我々がお会いできた視覚障害者の方は、みなさん明るく元気で、自分達のことは自分達でやっていくという自立心と生活習慣を強く感じました。

本来の平等について
 日本の企業では障害者を法律で雇用しなければいけないとか、障害者の作った品物だから安価なのは当然といった変な常識があります。日本の場合は平等社会であると言いつつ実は差別化の上に成り立っています。 フィンランドの国では一般社会や企業では視覚障害者であるゆえの不平等は受けません。本来の平等が社会のしくみとして定着しているのです。世界で提唱されているユニバーサルデザインという意味にも少し近づけた中身の濃い研修でした。

 最後になりますが、この視察にあたり日本からの我々の訪問を快く受け入れ丸一日かけ対応してくださったフィンランドの施設のみなさま、ほんとうにありがとうございました。又、NATを県民の翼自立コースに参加させてくださいました、みなさまにも感謝します。 我々NATメンバーは、この経験を多くの人に伝えると共に日々のボランティア活動に活かし障害者、高齢者を含めたコミュニケーションネットワークの輪を広げ「心豊かな富山」に貢献したいと思っています。
おわり
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