ユネスコ世界文化遺産の島
 スオメンリンナ要塞を訪ねて   2003.9.27(土)

世界遺産のプレートの写真 ・スオメンリンナ要塞 世界文化遺産登録プレート
スオメンリンナのマップの写真 ・スオメンリンナ島 MAP
 ヘルシンキ滞在最終日午前、最後のフリータイムを利用してユネスコ世界文化遺産登録のスオメンリンナ島に出かけた。 ヘルシンキ・マーケット広場前から出ている市営フェリーボート朝一便9時発に乗船、伏木の「如意の渡し」をちょっぴり大きくして2階建てにしたようなフェリー。乗船客はわずか7名、船内は閑散として淋しい限り。
船上から見える大聖堂の写真・ヘルシンキ大聖堂を遥かに望む
 ヘルシンキ湾をシリアライン大型船と並走したりすれ違ったり、振り返ればヘルシンキ大聖堂がずっと私を見送ってくれている。なんとなく気分はロマンチック?! 

 乗船することわずか20分足らず。スオメンリンナ上陸の第一印象は、静かでのんびり平和そのもの、といった島だったが、その正体は、名が示す通り「Suomenlinna=フィンランドの城砦」=フィンランド湾を守る、またヘルシンキの最終防衛ラインとして、独立以前から沿岸砲兵の基地として運用されてきた要塞島だった。
沿岸警備隊基地の写真・沿岸警備隊基地(現フィンランド海軍常駐)
 シーズンオフ休日の早朝に訪ねたこともあり、残念ながら頼りのビジターセンターも閉館。「戦争博物館」や「潜水艦博物館」「沿岸砲兵博物館」など行く先々みなことごとく閉館、周囲を歩き回るだけだったが、ほんとうに島全体が要塞博物館といった様子。結構起伏に富み、入り江の水も澄みわたり、木々の紅葉もとても美しく、狭すぎず、広すぎず、私にとって冒険気分満点の絶好のウォーキングタイムとなった。(なんて、カッコいいこと書いたけど、本当は観光客など誰一人いなくて、一緒に乗船した人も皆島の人々で船着場からさっさと自宅に行きついたのか、本当は淋しくて不気味なほどだった。)

●内緒の話
 実は、この日ホテルでの朝食時に能登さんと一緒に朝9時のフェリーでスオメンリンナに出かける約束をした。 部屋に戻り大慌てで身支度してホテル玄関に急いだのだが、待てど暮らせど彼現れず。 「きっと私の化粧の長い?!のに業を煮やして先を急いだのだろう」と勝手な推察。  彼に遅れるなとばかりにヘルシンキの中心地を走りに走り船乗り場にたどり着いたのだが、頼りの彼の姿はなかった。「先の船でスオメンリンナに行っちゃったのかしら?」~~~船乗り場には数人の待ち人と、乗船券の自動券売機があるだけ。フィンランド語の並んだ券売機前で冷や汗タラタラ。一体どうチケットを買えばいいのかしら? そこに人の良さそうなおじいさんが現れた。「スオメンリンナgo&backチケットどおれ?」なんて訳のわからぬ英単語を並べたててスオメンリンナ往復の切符を買いたい旨伝えると、それが通じたのがふ・し・ぎ。自分の財布の中のコインまで出して見せ「このコインを使うんだよ~~」と言ってくれたのだろう」私は無事船上の人となれたのだった。(ただし、買えたのは往復切符ではなく、片道切符だった。)

●スオメンリンナ要塞の歴史
 スオメンリンナの築城は1748年、東(ロシア)の境界を危惧したスウェーデンにより始められた。城塞は[Sveaborg・Viapori(ヴィアポリ:スウェーデンの城)]という名を与えられ、責任者としてエーレンスヴァルトが任命され、作業は40年に及んだ。
1809年にフィンランドがロシア帝国の自治大公国になってからは、東を守るために築かれた城は、皮肉にも西を守ることになる。その後、ロシア人が110年間にわたってこの島に留まる。1855年のクリミア戦争の折りには、仏・英艦隊が2日間に渡って要塞を攻撃したが、占領することはできなかった。フィンランドが独立した翌年の1918年、城塞はフィンランド語の[Suomenlinna]と改名される。
 その後の数年間は、内戦のための捕虜収容所となるなど、歴史的に暗い時代を迎えることになる。1973年ようやくスオメンリンナは市民の憩いの場となり、1991年には、ユネスコ世界遺産に登録される。現在では子供のいる家庭優先という条件のもと約900名の住民が住み、350名がスオメンリンナ島で仕事に就いている。 
                    ※フィンランド政府観光局公式ホームページから抜粋
道路標識の写真
       ・地図も持たずでかけ、ビジターセンターもCLOSED。唯一道標だけが頼り?!
島を結ぶ橋の写真・ピックムスタサーリ島

戦争当時捕虜収容所として使われていた海に面した建物の写真・戦争当時捕虜収容所として使われていた建物

●スオメンリンナ教会 地図も持たずに上陸してしまい、道標を頼りに島内を歩きまわったが、船着場からすぐのスオメンリンナ教会の高い塔が島内どこからも確認することができたので安心だった。
橋の向こうに教会がみえる写真
同じく橋からもた教会の写真   教会の前から映した写真

● 潜水艦ヴェシッコ(Vesikko)号 第2次世界大戦中に実際に使われていた潜水艦、潜水艦博物館開館中なら艦内を探検できたそうで残念。
潜水艦ヴェシッコ号の写真
  ・人っ子一人いなかったのでちょっと不気味な感じさえした潜水艦ヴェシッコ号
堅固な城壁の写真
・敵を絶対寄せ付けぬぞと聳え立つ堅固な城壁
城壁の中にある防空壕の写真
・城壁のアチコチに防空壕が築かれていた
石を積み上げたトンネルの写真 城壁と紅葉の楓の大木の写真
・毅然と聳え立つ城壁と紅葉の楓の大木

ロシアを睨む大砲の写真
・バルト海に向ってロシアを睨む大砲が往時のままに
アパートの庭の大砲の写真・アパートの庭にも大砲が、さすが要塞島

民家を彩る紅葉の写真 赤いもみじを大きくしたような葉   窓のまわりを伝う紅葉した葉っぱの写真
・民家を彩る紅葉、あまりの美しさにしばし見とれる。

入り江で遊ぶ水鳥の写真・入り江に遊ぶ水鳥
上陸してきた能登さんの写真
・能登さん上陸。「ほんとごめんね」
 束の間の「スオメンリンナ島探検」、船乗り場に戻るとちょうどヘルシンキからのフェリーが到着するところだった。私の乗ってきた先の船とは違い大勢の人が降りてきた。 その中からなんとデートの約束?! をしたはずの能登さんがリュックを背負って颯爽と下船。「あっちゃ~~またもや私の大失敗。」なんと彼はホテルロビーでずっと私を待っていてくれたそう。 とんでもないすれ違いだった。「携帯電話があればこんなすれ違いもなかったものを」と、この時ばかりは、異国の地で通話のできる携帯電話を持たずに出かけた旅の不便さ?!をつくづく思い知った次第。
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