いよいよ出発 |
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| 平成15年9月19日、金曜日である。 いよいよというか、ようやくというか、この日を迎えた。 そう、明日のフィンランド行きの飛行機に搭乗するため、高岡を出発する、その日なのである。 半年近くの準備期間があって、その間数々の調査や折衝、交流を重ねてスケジュールを立ててきたのであるが、日常の業務や生活の気忙しさもあってか、時の流れの早さだけを感じていたような気もする。それでも一週間くらい前から具体的な旅装準備に入ると、♪〜もういくつ寝ると、などと心の中で指折り数えたりしながらこの日の到来を待ち望んでいた。 楽しみや期待が多いのであるが、今回の旅は県の補助を受けた研修旅行というプレッシャーもあってか、ほんの少しの不安も同居している。(こんな細やかな神経があるのは、メンバー中でも私だけかもしれないが・・・・) 思い起こせば、などと結婚式のスピーチや何かの祝辞みたいに語るつもりは無いが、やはり今までの経過が頭の中をよぎる。 もともとは、参加させてもらっているボランティア団体の中の一つのプロジェクトに提言したのが始まりであった。 「ネットワークアシストたかおか(通称NAT)」、高岡の地域情報化推進の下支えをしよう!ということで活動しているボランティア団体であるが、その活動理念としての柱の一つ、『福祉』に視覚障害者へのIT支援を行う「愛EYEプロジェクト」というものがある。 視覚障害者の方々の文書を書きたい、読みたい、メールを送りたい、趣味について情報収集したいという欲求にたいして、コンピュータを利用してそういうことができるようになってもらおうという考えで、サポート活動をするものである。 訪問による個別指導や月一度の定例勉強会、そして視覚障害者が自宅で一人でも学習できるようなサポートテープの作成を行っている。 このような活動が、他の団体や地域ではどんな形でおこなわれているのか、類似活動についての情報収集も併せて行っていた、そんなところに、富山県の県民の翼事業の情報が飛び込んできたのである。 「愛EYEプロジェクト」はまだまだ歴史が浅く(平成13年12月〜)、いろいろな意味での情報収集や評価を必要としていたのである。 そこで、この事業を利用させてもらい、何かできないかと考えたのである。 そもそも福祉とはどうあるべきか、ITによる福祉サポートはボランティア団体で可能なのか、視覚障害者サポートの現状はどうなっていて問題点は何なのか、我々の活動はどう評価されるのか等々、改めて考えてみると、学びたいことがたくさんあった。 それらを取りあえずまとめて、行く気満々で愛EYEプロジェクトの定例勉強会に提言したのが、4月24日。 県の申込締切が5月23日だったので、愛EYE内での締切は5月10日とした。 連休もあり、その間に皆ゆっくりと考えてくれるだろうと思っていた。 その後、この定例会の報告と言うことで、NATのメーリングリスト上でも、正式に通知した。 |
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皆、行きたいところはそれぞれあろうから、いろんな案を出してもらって多数のリクエストがあるものか、なる程と思うようないい案を採択しようと思っていた。 皆行く気があるに違いない!それしか考えていなかった。 連休の間、私も自分勝手に行き先などの研修計画を考えていた。 「ITプラス福祉といえば、やっぱり北欧かなぁ。」 「デンマークで人魚姫を見てくるかな?それともスェーデンのノーベル記念館へ行って田中さんも買ったノーベル賞記念チョコレートを買って来るのもいいし、フィンランドのムーミン谷に行くのも捨てがたいなぁ。」 (おいおい、何を研修しに行く気なんだ?) 研修は研修として、旅の計画はこんな妄想段階が一番面白いとしたものだ。 そんな楽しい計画立案で連休も終わった。 メール環境が職場にしかないので、この連休中にさぞや多くの応募や問い合わせがきているだろうと、出勤してすぐに、ワクワクしながらメールを開いてみた。 数十通のメールを丹念に調べて見るが、あれ〜〜?なんと応募者0名。関係するようなものも無い。 「え〜〜〜????誰も行く気ないのかぁ???俺だけ〜〜??」 そんな筈はないと、自分に言い聞かせるのが精一杯である。 「はは〜〜ん、皆さんも連休で今から職場で書いて出すんかな?」 根が超の付く楽天家である。 そうに違いないと、一人合点し、5月6日終日待っていた。しかし、メールは来るものの内容はカスリもしない。 「そうか!行き先も書いてないし、余りに内容がアバウトすぎてみんな戸惑っているんだ!」 と勝手に決めつけ、チョット詳しい内容にして再配信しようと考えた。 取り敢えずの案だが、具体的な研修先ぐらいは考えておかねばならないだろう。 インターネットなどで調査を開始したが、なぜか行き先はフィンランドに決めている。何かの潜在意識(ムーミン?オーロラ?サンタクロース?サウナ?)がそうさせたのであろうか。 そして5月8日に、再発信した。 |
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「これで大丈夫やろ。でもアメリカやカナダ、他のヨーロッパ諸国を考えていた人たちは、あきらめるかもしれんなぁ。ま、俺もフィンランドに決めているわけじゃないし、なんのせ、いろんな意見が来てからやわ。」 まだまだ楽観的である。(信じられんねぇ。) 二日が過ぎ、三日が過ぎ、ようやくこの楽天家にも事態が呑み込め始めて来た。 「ん〜〜ん、結局行きたがっているのは俺だけ?」 「そっか〜、そういうことかぁ。少なくとも3,4人は直ぐに手を挙げてくれると思ったのになぁ。ま、13日の運営委員会で最後の勧誘をして、おしまいかな?」 体から急速に力が抜けて行くような気がした。 引き際も大事であるからと、自分自身でケジメもつけ、一人での楽しいバーチャル旅行であったと、心の中では幕を下ろした・・・・・・はずだった。 5月13日(火)、月例であるNATの運営会議が開催された。 各プロジェクトの活動に関しての報告や今後の予定が話し合われる場である。 その席上の最後の方で、付け足し程度の感覚で、県民の翼への応募について、現状を力なく話した。 「県民の翼について、MLでも投げかけましたが、応募される方が今のところおられないので、今日もし進展がなければ、この事は締め切りも近いので、終わりにしようと思います。」 そのときである。 「チョット待って!僕ら行ってもいいよ。」 「えっ?」 「僕ら要れて何人になる?5人要るんなら、もう1,2人やろ。もうチョット頑張りゃなんとかならんかな。」 「ホンマ?」 出席している運営委員の3人から突然ではあるが、申し出があった。 それぞれの思いはあるのであろうが、今は急に目の前にあった開かずのドアが開かれたようで、その申し出に反応した声のトーンも変わっているのが自分でもわかった。 兎にも角にも、道が開けたのである。 私の責任下の問題でもないから、ここまできてなんと言ったらいいかよく判らないけど、ほんの数日前には、実現に向けて力入れて考えていたことがポシャリそうになって、力が抜けていたのが、また復活の兆しが見えてきて嬉しいのではあるが、なんとなく複雑なのである。 「もっと早く言ってよ!」 そう言いたいのだけど、きっと私の思いを察してくれた人たちが申し出てくれたんだろうな、という有難さも伝わってきて・・・ だがまだ4人だ。最低あと一人は必要な事に変わりはない。 ここまで来たら、最後まで頑張らなければ嘘だろう。 翌日、最終募集としてNATのMLにメールを送った。 |
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後は待つしかないのであるが、個別にアタックも行うことも考えた。 そして、そして、翌日、5人目のメンバーが会社の了解が取れた、と名乗りを上げてくれた。 「よっしゃ〜!」 これで最低条件はクリアした事になる。 いまから書類作成に取り掛からねばならないので、喜んでばかりもいられないが、これで準備にも力が湧いてくるとしたものだ。 でも考えてみれば不思議なものだ。 もうほとんどあきらめかけていたのに、集まるとなると、たった2,3日で集まってしまう。キッカケとタイミングだけの問題なのかなぁ。 まだ行くことも未定で、しかも時間が少ない事もあり、訪問先のアポを取るのも難しかったが、本社に問い合わせ中とされたところも含め、決定すればもう一度正式に訪問申請をするという事で概ねの了解をいただいた。(多分そのはず・・英語でのやり取りなので自信は・・・・ない。) 関係書類の作成も終え、締め切りに間に合わせるため2日程前に県(国際センター)に郵送した。 「は〜、取り敢えず賽は投げられたぞ。」 と安心したその時、メールが来た。 |
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実際は、書類も送った後だしチョット困ったと思ったが、すぐにすごく具合のいい申し出であることが判明した。 つまり、現状で男4、女1が、男4、女2になりホテルの部屋割などで都合がよくなるのである。 これだけにとどまらない。さらにもう一人、 「オラも行きたいがやけど・・・予定がはっきりせんから、メンバーに入れておいたら支障をきたすかもしれんし、どうにかならんもんかね。」 と電話での連絡も来た。 彼はNATだけでなく愛EYEプロジェクトにおいても重要なキーパーソンであり、予定が確定次第追加させてもらうことにした。(もっとも落選すれば関係のないことであるが・・・) 県へ書類の差し替えの連絡をし、これで第一段階終了とホッと胸をなでおろした。 しかし、その安堵感も長くは続かなかった。 それから一週間も経たない28日の朝、メールの中にこんなのを見つけた。 |
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「6月1日〜〜〜!? あと4日しかないやんか!」 しかも3時20分からとなっている。私的なことではあるが、その時間は既に予定が入っている。 予定時間は電話で変更を了解してもらったが、それにしても時間がない。 プレゼン資料も全く作ってない。 「もうチョット早く言ってもらえれば・・・ブツブツ」 と愚痴をこぼしつつも、メンバーに連絡した。 しかし、ここからが我がNATの底力の凄さであり、その高い能力を再確認することになるのである。 しなければいけないことはたくさんあるだろうが、方針として次のようにした。 まずプレゼン生原稿の作成である。 それには、NATの事、愛EYEプロジェクトの事、今回の研修目的や訪問先の選定理由、我々のやりたい事、今後の生かし方などわかりやすく織り込まなければならない。 さらに視覚に訴えるためにパワーポイントによる説明がよかろうということになり、その作成も行う事になった。 基本方針はできあがり、さっそく取り掛かった。 生原稿案ができたのが29日夜。2,3人の分を寄せ集め、10分内に収まるように再編集してみたのが30日夜であった。 この原稿に合わせ、パワーポイントの画面作成に取りかかり、一応の形ができたのが、最終打ち合わせ日の5月31日夜10時頃であった。 何回かの読み合わせで、10分以内に収まるのを確認し、最終的にOKが出たのは、明日を目前にした頃だった。パワーポイントは更に明け方まで修正が続いたようである。ご苦労様でした。 仕事をしながらの限られた時間内で、よくこれほどの資料ができたものである。 メンバー全員の連携の賜物といえよう。 それにしてもインターネットに拠る情報収集は凄い武器である。いまさらながらであるが、それを使いこなすメンバーも頼もしく見えた。 |
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| 翌6月1日、プレゼン当日である。 会場に到着した頃は、あいにくの小雨模様であった。 出席者は、説明者、パワーポイント操作担当、プロジェクトリーダーの3名である。その他応援にも駆けつけてもらったお陰で、待合室でもそんなに緊張することなく、出番まで過ごすことができた。 競争率は4倍ということである。 SARSやテロの影響で競争率はそう高くならないと踏んでいたが、予想より高い感じだ。でも、できることをやるしかないし、なるようにしかならないものだ。いい意味で開き直りもできたようである。 さあ、順番が来た。 プレゼン会場に入室すると、審査員と県関係者がズラ〜ッと座っておられ、いやが上にも緊張感が高まっていった。 始めてくださいという合図で、プレゼンを開始した。 何度も読み合わせをしてあるので結構スムーズにできたのだが、本番となるとどうしてもアドリブがでてしまう。悲しい性(?)なのだろうが、パワーポイントの操作に影響がない程度であったと思う。 (プレゼン内容は、プレゼン原稿をご覧ください。) 汗(冷や汗?)をかきながらも、時間内に説明を終わることができた。 その後の質疑もたくさんいただき、それなりの応答もできたと思っている。 我々の活動へのいい評価もいただき、手応えは充分なものであった(出席者の自己満足であるけれど・・・)。 プレゼンが終わり、正直ホッとした。身体にいらぬ力が入っていたのだろう、何か力も抜けて行く感じがよく判った。 とにかくやるべく事はやった。あとは発表を待つだけである。 情報に拠ると、6月5日が発表のようだが、時間によっては翌日の新聞かもしれない。 メンバーにプレゼンが終わった事を連絡し、その日は解散となった。 |
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| 6月5日の昼過ぎから夕方にかけて、発表の連絡はあったか、といった心配メールが何通か行き交った。 こちらとしては何もできないし、多分明日の朝刊にでも載るんじゃないかということで、少々やきもきしながらも明日を待つことにした。 翌朝、いつもより早く目覚めたようだ。やはり新聞が気にかかるのか。 食卓においてあるK新聞をやおら広げ、一面からいつもよりゆっくりと読み出した。 いや見出しだけを探した。 「一面には無いわな。」 そうつぶやきながら、一枚めくる。 そして目が3面の下部、割と大きい見出し記事に釘付けとなった。 そこには、今年度の県民の翼自立コースに我々の応募が採択されたことが書いてあったのだ。 「わぉ〜!」 朝からの変な声に、細君もどうしたのかと、尋ねてきた。 「フィンランドに行くことになっちゃった。」 前の日まで、競争率が4倍ということもあり、あまり期待しとらんよ、と心とは裏腹の言い方をしていたためか、ちょっと照れも入っている言葉になってしまった。 早速メンバーと連絡をとり、喜びを共有する事となった。 |
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| しかし、さすがにNATである。浮かれてばかりもいられないという認識も皆、共通して持っている。 思いが現実化すればしたで、準備しなければならないことがたくさんあるのである。プレゼンの時は交渉中や調査中としていたことも、早急に決定し、調査完了しなければいけないのである。 直ぐに役割分担を決め、具体的に動き出した。 連絡は主にメールを使うということで、独自メーリングリストも立ち上げた。なにしろ時差のある国との交渉もあるので、24時間体制(?)としたのである。 世の中は不思議な縁があるなぁと感じることがよくある。 今回のフィンランド行きの準備を進めているときにも、そう感じる事がいくつも出てきた。 |
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| ○ 高岡フィンランド協会 | ||
| なぜか高岡にフィンランド協会があるのである。 その副会長がなんとNATのメンバー、恐るべしNAT! しかもその総会が、6月28日に開催されるという。 まるで我々の研修に合わせるかのようなスケジュールだ。 いろいろ情報提供もしていただけるだろうということで、19日に早速挨拶をさせてもらい、喜んで総会へ出席させてもらうことにした。 総会には、フィンランド大使館から講演に来られるということで、事前にいろいろと聞いてみればという暖かくそして有難いご配慮もいただいた。 |
![]() フィンランド協会総会にて |
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| ○ フィンランド大使館一等書記官サミ・ヒルボ氏 | ||
| フィンランド協会の総会で、講演に来られる方であるが、協会のお計らいで事前にいくつかの質問や要請をすることができた。そして講演後の交流会において、たっぷりとお話もでき、数々のご協力をいただけることになった。 その中でも特に、我々のスケジュールを教えてくれれば、訪問先と交渉してあげようというホントに嬉しい申し出があった。 現地は当然フィンランド語であり、英語も殆どのところで通じるが、交渉となると費用などの事でチョット厄介かなぁと考えていた矢先の事だったから尚更うれしかったのである。 |
![]() ヒルボー氏と記念撮影 |
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| 我々の交渉の現状や実情をお話し、なるべくいい方向での研修(経費がかからず有効な訪問)となるようにお願いした。なにしろ大使館の申し出である。もうどっぷりと大船に乗った気分となった。 そして縁により、このヒルボ氏にはまだまだ活躍してもらう事になっているのである。 |
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| ○ ラハティ工科大学 児島 教授 | ||
| メンバーの一人のご夫君と親交があり、つい最近も泊りに来ておられたそうだ。 木工デザイナーとしてフィンランドでは超有名な日本人だそうだ。なんと在住33年。 今回の我々の研修に対しても、いろいろなアドバイスと同時に盲学校の紹介を受けて、早速訪問先に加えることに決定した。ヘルシンキから少し離れた所に住んでいらっしゃるが、本場のサウナをご馳走するとの話もいただいた。もちろん有難く受ける事になった。 |
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| このように何でかわからないが、次から次と我々を導いてくださるが如く、多くの人たちが関わってくださったのである。 着々と準備は進んで行った。 7月初め、飛行機やホテルの手配も順調に決まった。保険もOK。 メンバーの多くは毎日多量のメールを相手にしているので、ホテルでのインターネット環境が少々気にはなっているが、照会中だし、何とかなるだろう。 訪問先の折衝は、独自ルートと大使館ルートで何とかなりそうであるが、フィンランドでは7月と8月が夏期休暇中で少々遅れているようだ。ヒルボ氏は心配ないよと、連絡はくれている。 あと心配なことといえば、通訳の手配である。 これも、ヒルボ氏にお任せしてあるのだが、少し難航しているようだ。 こちらとしては費用の計算などもしなければいけないので、早く決まって欲しいのだけれども・・・。 7月下旬、ヒルボ氏がフィンランドへ帰国する事になり、現地で調整してくれるそうだ。これはいい知らせなのかな?ただ連絡に時差が出てくるので、気をつけなければいけない。 8月、訪問先に正式にコンタクトが取れた。また、通訳も手配がついたようだ。 ホッと一安心である。 8月中旬、旅行代金等の支払いが始まる。 8月末、関空までの移動方法が決まる。二班構成となるようで、先発隊は高岡発14時28分サンダーバード32号で新大阪からはるかに乗り換え。後続部隊は高岡発18時11分サンダーバード46号で大阪から普通電車となる。 9月初旬、ヒルボさんからまだ詳しい日程や通訳者の連絡がない。連絡がついているのは確かなのだが、やはりやきもきする。これ以外は、フィンランド事情の勉強も含め、名刺、お土産の手配など殆ど完了しているのに・・・と心配していると、訪問先の手配が完了したことと、通訳はヒルボ氏がやってもいい旨の連絡が来た。 「えっ?ヒルボ氏が?ヒルボ氏って大使館、いや外務省の人じゃないの?そんな人が我々のような団体の通訳をするの?」 フィンランドの事情が判らないので、何とも言えないが、この時はやはり奇異に感じた。(後日、ヒルボ氏は大使館を退職して、いわゆる充電期間としてフィンランドに帰国した事が判明した。お国が違うとはいえ、日本人にはすぐには理解がしがたいことだ。) 9月16日、出発まであと3日だ。ようやくヒルボさんから訪問スケジュールの詳細が届いた。涙が出るほど嬉しい。 旅装も一部の人を除き、整ったようだ。(誰?一部の人って?) 9月17日、現地でのプレゼン用原稿も完成した。プロジェクタも持参する事になった。 9月18日、通訳はヒルボ氏がする事になったと連絡が来た。 しかし出発前日でっせ?これがフィンランドなのかなぁ? |
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| このような紆余曲折もありながらも、無事今日を迎えることができたのである。 つくづく人の縁とは奇妙なものだなと実感しながらの出発である。 先発隊の出発に合わせ、駅には、県の担当の方も見送りに来ていただいた。もっとも、これは監視(?)のためなのかもしれないが。 では、しっかりと研修してきますよ〜〜! 前泊は関西国際空港の目の前、ホテル日航関空である。 先発隊が到着した頃、後続部隊が高岡を出発することになる。 |
![]() いよいよ出発 |
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| 先発隊は、ゆっくりと旅装を解き、優雅に夕食(ちなみに天婦羅食べ放題コースで日本食を堪能)をすませ、後続部隊の到着を待った。 午後11時近くに後続部隊が到着したようである。 |
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| 早速ではあるが、最終打ち合わせ会を招集した。 共通部材の担当や会計担当の順番など、この期に及んでも決めなければいけないことがあるのである。 もっとも、これはワザと残しておいて、メンバーとの楽しい時間の共有を図る、そんな意味も含まれているのである。(へぇ〜、初めて聞いたけど・・・) 明日出発するということで、皆多少の興奮があるようだ。いつものように話題は尽きず、出発するのが既に今日になってしまった。 |
![]() 明日の予定を打合せ |
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| さぁ、楽しみの舞台がいよいよ開演となる。 どうせ台本があっても、言う事聞かないメンバーの集まりである。アドリブだらけだけど、楽しいものになる事はまず間違いないだろう。 心配は唯一つ。今晩寝れるかなぁ。 では、おやすみなさ〜〜い。 |
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